初めまして。今年4月にSDA徳島キリスト教会に赴任した、牧師・平田和宣(かずのり)です。どうぞ宜しくお願い致します。また、このホームページの更新が大変遅くなりましたこと、心からお詫び申し上げます。どうぞお許し下さい。
●徳島って素晴らしいところですね!
私は東京生まれの東京育ち。徳島どころか四国に住むのは、本当に初めてです。でも、東京に比べてなんと自然の豊かなことか。魚たちが飛び跳ねる助任川。わが家の子供達も好きになったニンジンを初めとする美味しい野菜や果物。そして緑豊かな城跡や眉山。たくさんの綺麗な海水浴場…。徳島に住めることを本当に喜んでおります。
さて、私は一つの目的のために、この徳島にやって参りました。その目的とは、イエス・キリストの素晴らしさを徳島の皆さんと共に分かち合いたい、ということです。
●放蕩息子のたとえ話
聖書の中に、「放蕩(ほうとう)息子のたとえ話」というものがあります。ちょっと紹介したいと思います。
「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉(ききん)が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物(はきもの)を履(は)かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠(ほふ)りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。」(ルカによる福音書第15章11〜24節)
●神様、いるんなら助けてくれよ!
私は小さい頃から両親に連れられて教会へ通っていましたし、学校もずっと教会関係でお世話になりました。しかしどういう訳か、ある時ふと気が付くと、やる気の全く無い人間になっていました。無気力・無関心・無感動…三無主義あるいは四無主義などという生き方が若者の間で病のように流行っていた時代です。ニヒルに「俺はヤダよ」と生きることが、何かカッコイイものであると勘違いしていたのかも知れません。そして、そんな生き方をしている自分の愚かさにやっと気が付いた時には、もう手遅れ。まるで鎖で縛られているかのように、「イヤなものから逃げる生き方」の奴隷になっている自分の姿がそこにありました。焦りと自暴自棄…。友人や周りの大人達に理解してもらえず、ただただ苦しんでいたその時、私が思い出したのは「イエス様」でした。無気力な布団の中で手を合わせることもできません。でも、心の中で神を呼び求める日々が続きました。「神様、いるんなら助けてくれよ!」。
ある時のことです。部屋の戸のカギをかけ、床をコブシでたたきながら必死に祈っていると、突然頭の上から暖かいものが私の体をおおっていくのを感じました。すると不思議です。私の心が平安に満たされ、考え方までが前向きに変えられていったのです。神の大きな愛に包まれた体験でした。神は何も善いものを持つていない私を、ただそのまま受けとめて下さり、包んで下さいました。あの放蕩息子を、ただただ喜んで迎えてくれた父親のように。
●必ず、出会って下さる!
このホームページを開いて下さったあなたに、ただ申し上げたい。神は、確かに生きておられます!本当に求めるなら、神はあなたと出会って下さる! そのままの姿で、どうぞ神にすがって下さい。。