Report By Murakami


2002年讃岐うどんの旅(尾本さんはうどん通?)
2002年3月21日、その日は朝から曇っていた。前日の天気予報では嵐になるといっていたが、風はなく、雨もまだ降ってはいなかった。ただ薄暗かったせいか、私は少し寝坊してしまい、約束の時間(午前7時会長宅集合)にはまだ車を走らせていた。「少し遅れます」と言おうとして携帯をとりだしたとき、「心の旅」のメロディが流れた。会長からだった。
「どないしょんえ」
「すいません、あと5分でいきます」
「尾本さんもうきとーけんはよきーよ」
あちゃー、こりゃ着いたら何言われるかわからんなと思いつつ、私は会長宅へ急いだ。
案の定だった。私が着くやいなや、「今日もし会場に着くのが遅れてもボクの責任じゃないモンねー。村上君が5分遅れたからだヨねー」と、まくし立てられた。うー、これからこれをいっしょう言われるのか・・・。
急いで荷物を尾本さんの車に積み込んだ。ナビゲーターの会長の提案で、高速(徳島自動車道)を使い、三頭トンネルを抜けて瀬戸大橋を渡り倉敷へ、というルートを採ることになった。高速は空いていた。尾本さんの運転する車は、あっという間に美馬インター降りて山道を登っていった。三頭トンネルの中間点をすぎて香川県に入った。尾本さんはおもむろに、「この道はね、ボクがよく100円の讃岐うどんを食べに来るからよく知ってるんだよ」と、言った。
「えっこんな所までわざわざ100円のうどんを食べに来るんですか」
「哲ちゃんは暇なんよ」
「ほら、君の横に文庫本があるでしょ」
と言って、尾本さんは、運転しながら自分の真後ろの後部座席を指さした。そこには、「アーマーモデリングの陰に隠れて、「恐るべき讃岐うどん(麺通団/新潮OH文庫刊)」と言う本が2冊あった。私が「麺地巡礼編」の方を取ろうとすると、そっちじゃない、麺地創造編の目次を開けてみて、谷川米穀所と言うのが載ってるでしょ」
米穀所?何で米穀所がうどん屋やねんと私が思っていると、すかさず尾本さんが、「それはね、小麦粉を挽いて、うどんに打って、ゆでた麺にしょうゆをかけて食べるだけだから」と、言った。それを聞いて会長が、「ほんなんおいしいんえ」と、言うので私は、「会長、麺がよければこれで十分美味しいんです。昔、丸亀で食べたことがありますが、美味しかったですよ」と、言った。そうこう言っている間にも車はどんどん進み、狭い道へ入って止まっ た。
「さあ着いたよ」
「えっ、どこにあるん?」
「ほらそこの左下にあるでしょ」(阿波弁では『あるでないで』というが・・・)
確かに、人が通れるだけの坂道を降りたところに建物らしきものが見える。あれがそうなのか。
「そっ、あれがそうなの。多いときはね、坂道からこのあたりまでずっと列が出来てるんだけど、今日はまだ早いから開いてないね。じゃあ次行きましょ」
「えっ、まだ行くんですか」「まだ十分時間があるから、それに遅れたってボクの責任じゃないモン」と、言って尾本さんは車を走らせた。次はどこへ行くんだろうと本をパラパラめくっていると、「『伝説の中村』を開けてみて」と、言うのでそのページを開けて読んでいくと、何々、【客が裏の畑でネギをちぎり、店に置いてある包丁で自らきざんでうどんに入れる】なんじゃこりゃ。しかも一杯100円と書いてある。
あっ、ここ、ここ」と言って狭い路地を入っていく。「これこれ、このドラム缶を右に曲がるんだよ」車はさらに狭い道へ。すると、右前方の古びた小屋のような建物から、一人の青年が、うどんの鉢と割箸を持って出てきた。「あっやってる。せっかくだから食べて行こう」と言って尾本さんは車を止めた。店の中へ入った。尾本さんは、「セルフだからね。僕のするとおりやってね」と言って、さっさとうどんをふり、だしを入れ、かき揚げをのせ、ネギ(まな板の上にきざんであった)をのせ、しょうがを入れて食べ始めた。会長はセルフが始めてらしく、暫く戸惑っていた。それを見かねた尾本さんは、一連の動作を指示した。私は、うどんをふるのは何年ぶりだろうかと思いつつ、せいろにもってあったうどん玉を鉢に入れてもらい、すぐ傍の釜で湯どうしする。その間、鉢を湯の中につけてくるくる回す。ついついやってしまった。振りざるを切り、麺を鉢へ戻す。例のネギを入れ、ショウガを入れてだしをかける。尾本さんと会長は、かき揚げをのせて食べていたが、私は何も入れない。そのほうがうどんとだしの味がよくわかっていいのだ。麺は何とも言えない不思議な食感だった。うどん玉自体が小さいので、あっという間に一杯食べ終わった。「ここは僕がオゴルヨ」と言って、尾本さんが奢ってくれた。三人合計で600円だった。もう一杯食べたい気もしたが、時間も迫ってきていたので中村を後にした。
やったぜ会長、天晴れ浮田さん
車は瀬戸大橋を渡り、倉敷インターを降りて一般道へ入った。午前9時45分。「ほうらちょうどいい時間でしょ」尾本さんが得意げにしゃべる。午前10時ジャスト、車はイオンショッピングセンターの駐車場に滑り込んだ。尾本さんは上機嫌だった。小雨が我々を迎えた。会長と私は、荷物を抱え小走りに建物へ向かう。その前を尾本さんが何も持たずに早足で先へ 先へとどんどん歩いていく。「哲チャンはこういうときは早いんじゃ」と、会長が呟いた 会場に着くともう受付が始まっていて、順番待ちの列ができていた。会長と私が並んで待っていると、傍らで尾本さんが、AFVの会のスタッフである未完成チームのメンバーに、「ネエ僕今回作品持ってきてないから参加費はいらないよね」 と、気安くしゃべっていた。私は、作品を展示し終えた後、カメラを取り出した。すると、尾本さんが近づいてきて、「ネエ、これなんか撮ったらどう」と言って、3突のインテリアを作りこんでいる作品を指差した。私は、言われるままにその作品を撮った。だんだんと人も増えてきて、ゲストも次々と来場してきた。会長は、早速ファインモールドの鈴木社長としゃべっていた。尾本さんはというと、「僕このショッピングセンターに買い物に来たの。ちょっと一回りしてくるから」と言って、会場を出て行った。私は、再び撮影を開始した。
ふと見ると、会長は今度は山田卓司氏と話をしていたので、近づいて写真を撮らせてもらった。暫くして、尾本さんがビニール袋を抱えて帰ってきた。「ブレザー買っちゃった」と言って、それを控えの間に置いてあった私の荷物の上に置いた。12時を回ったので、3人で会場を出て、レストラン街へ向かった。祝日のショッピングセンターのレストランはどこも混んでいた。とりあえず一番端のとんかつ屋で、名前を書いて待つことに。20分ほど待ってやっと中へ入った。定食を食べ、3人で ビールを2本空けた。赤い顔をして会場に戻ると、もうすでにゲストの紹介が始まっていた。その後、ゲストのディスカッション、質疑応答と続いた。休憩を挿んで、いよいよコンテストの発表だ。各賞が次々に発表されていく。インパクト賞に山上会長の名前が呼ばれた。レベル1/40M48架橋戦車だ。昨年のシニア賞に続き二年連続の受賞である。昨年は、「わいがいっちぁん年寄りか」と、ちょっとムッとしていたが、今年は前へ出てインタビューを受けたとき、にこやかに例の阿波弁でしゃべっていた。さて、単体部門、ディオラマ部門の金銀銅賞の発表が終わり、いよいよAFV大賞の 発表である。AFV大賞には、観音寺の浮田さんのディオラマが選ばれた。この作品 は、我がTMCの昨年の展示会に持ってこられたときも、当会員のみならずそこにいた人々の絶賛を浴びた。私は、草の表現がすばらしいと、思ったものだった。前に呼ばれた浮田さんは、土居編集長から、ダイオラマのフィギュアの配置がいいと褒められ、恐縮して緊張しっぱなしだった。それにしても、四国から参加した5人(浮田さん、土佐模型クラブ会長森沢氏、当会山上会長、尾本さん、私、もっとも尾本さんは作品を出してないので〈私の知る限りでは〉4人)の中から2人も受賞したことは非常に喜ばしいことだ。しかも浮田さんは大賞である。しかし、逆に言えば四国のAFV人口が少ないということか・・・兎にも角にもAFVの会は終わった。ショッピングセンターの外へ出るともう雨は上がっていた。
帰りの車の中で尾本さんが言った。
「うちが展示スペースを貸した人やクラブが、ドンドン上手くなってうちを追い越していくね。静岡でうちのブースに置かしてあげたエーデルワイスは、今や押しも押されぬクラブになったし、今回の浮田さんもそうだし、みんなうちを乗り越えていくのネ」「まあうちは、AFV会の発展に貢献しているわけネ」。

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