作戦行動中の斎藤飛曹長ト愛機
=静岡県◯◯基地ニテ・吉本報道班員写ス

今年の静岡HSも、最後に1号車の速度違反による逮捕と、2号車のガス欠騒ぎというオチがついて終わったが、やはりオチがないとウチの会らしくない。

思い起こせば、12年連続で静岡へ行った一人として、静岡ホビーショーは自分の模型ライフに欠くことのできない行事だと実感する。
初めて参加した第一回は、近畿圏のクラブは皆無に近く、地元と中部地方のクラブばかり。 ただひとつ四国より参加した徳島モデラーズ倶楽部は、唯一船で海を越えてやって来るけったいな一団として随分と優遇してもらったものだ。後年、明石大橋の開通により陸続きとなったが、第七回までは淡路・神戸間を上陸用舟艇(フェリー)に頼らざるを得なかったため、時には二台の車のうち一台が船倉の満杯で積み残されるというような、笑えないハプニングも発生した。
TMCがなぜ第一回からの参加だったかというと、第一回は一般公募のない、いわばプレ・エキシビジョンで、当時タミヤ模型とつながりのあった吉本氏に参加の打診があり、彼が青森出張の帰りにわざわざ静岡のタミヤ本社まで出向いて、合同展示会の開催に対する相談にのったというのが事の発端である。

我々にとっては関西以東のクラブは未知で、「いっちょう、いてこましたろか」の精神で乗り込んだように思う。第一回は17クラブ程で、会場は南棟1F東端の、今回は喫茶コーナーになっていた部屋があてがわれた。実にこじんまりとした展示会で、各クラブW2700mmほどのスペースだったが、舞上がっていた当クラブ員はアホほど作品を持っていき、作品カードも置けないほどの超過密展示だったことが今も笑い話の種になっている。 しかし、クラブ数が少ないぶん十分交歓ができ、この時よりお付き合い頂いている方も多い。なにより当時は各クラブに対し交通費が支給され、タミヤ本社で挙行された交歓パーティーは無料ご招待という良き時代だった。

今でも思い出されるのは、当時飛行機に関しては、ほとんどニューキットが発売されない暗黒の時代で、私がハセガワ社員の方に「48の『飛燕』を出してくださいよ」と頼むと、「48の日本機なんて海外市場の需要がないから、とても無理ですね」と一蹴されたほどだった。一式陸攻や月光が48で発売される現在の状況など、当時は想像もつかない時代だった。

今年は海外のクラブも含め参加が101クラブにも達し、大盛況を呈していたが、これほどまでに合同展示会の規模が拡大されようとは、あの頃だれが想像しただろうか。私自身、合同展示会を通じて他会の多くの友人や研究家・ライターの先生方まで親しくしてもらい、受けた影響は計り知れないものがある。今の自分の模型ライフスタイルがあるのも静岡HSのおかげと言っても過言ではない。

第一回の未知の同好の志との交流。フタを開ければ、みんな同じ趣味の者同士、すぐに打ち解けた。言葉(方言)の壁を越えての友情が生まれた。そのチャンスを与えて下さった静岡模型教材協同組合のメーカーさん達の実行力には心より拍手を送り、今後とも静岡が我々モデラーの聖地であり続けることを願ってやまない。

第一回合同展示会打ち上げパーティーでのタミヤ社長のスピーチが今も思い出される。 「このようなモデラーの方々の祭典は、メーカーとしてもっと早くから企画すべきものだったと反省しております・・・・・・」。

斎藤分隊士記



管理人からの追記↓
静岡作戦を繰り広げて今年で12年になります。
思い起こせばタミヤのT氏の依頼で私が青森出張の帰りに静岡へ寄ったのがTMCの静岡とのかかわりの発端でした。
当時、模型の楽しさをもっと広めるため、静岡模型教材組合が全国の模型クラブに呼び掛け、静岡で大展示会を行うという計画を立てていました。
タミヤを中心にメーカーとなんらかのかかわりのある人に意見を聞き、実現の可能性を探っていたようですが、その中の一人として私にそのアドバイスをしてほしいという依頼でした。
タミヤ本社でT氏と当時の合同展準備担当者M氏から、こんな展示会の企画があるんだけどいかがなものか?と尋ねられました。
一地方模型クラブの会員であった私ですが、それは素晴らしい企画です。展示会はいっぱいありますが、個々のクラブの単独でしかありません。全国から模型愛好家が集う大展示会は我々の夢です。実現したら素晴らしいものになるでしょう。また模型愛好家の技術向上にもつながるのではないでしょうか?と答えました。さまざまな実施にむけての問題点なども話の中では出てきましたが、いずれにせよ、夢のような企画が実現へと進んでいると感じたものでした。
この時、タミヤの田宮俊作社長ともお会いし、私は緊張のあまり何を話したかはほとんど憶えていませんが、徳島からもぜひ参加して下さいと言われたのをかすかに記憶しています。
私は本当に実現するのかなあ?と考えながら帰路につき、徳島に帰り着くなりTMC会長にこのことを報告したのでした。会長は実現するのならうれしい。とのことでしたが半信半疑であったようです。他の会員もそうであったと思います。
それからしばらくして招待状が届きました。
夢が実現したのです。TMCは即座に参加の返事を出しました。
そうして第1回目から参加という、輝かしいTMCの静岡遠征の歴史が始まったのです・・・・。

今年の展示会の懇親会会場で毎年お会いしているT氏と「賑やかになりましたねえ、最初はこんなになるとは思わなかったですね」と第1回のころの話が出ました。ものすごく懐かしい気持ちがしました。第1回目のとき、はりきりすぎたTMCは午前5時に静岡に着いてしまい、行くところがないため田宮本社の前で記念撮影し、その後登呂遺跡を観光し時間をつぶした・・・・・・。
12年前の光景が鮮やかに蘇ってきたのでありました。

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