愛媛県在住旧帝国海軍航空隊搭乗員訪問記
Report By H.Saitoh

藤本飛曹長と3人の海鷲探索隊
左より斎藤、味口、藤本氏、池田の面々。取材を終えた後、藤本氏のお宅に面する斎灘の海をバックに撮影。ちょうど美しい夕日が沈むところだった。このあたりの海にはグラマンだの紫電改だのがたくさん沈んでいるという。(味口氏談)

かくして最強の3機編隊は組まれた

そもそも今回の愛媛県での「海鷲」探索、つまり旧海軍航空隊搭乗員個別取材なるものが提案されたのは、日頃より単機で旧海軍じいさんの訪問や戦友会までにも、のり込むツワモノ同士が、久々の会合を兼ねて、たまにはいっしょに取材してみようとのノリで実現れたものである。 教導機を務める地元「まっついこっつい」の味口会長。また、遠路千葉より飛来の池田飛曹長。そしてワタクシ、徳島MCの斎藤飛曹長の3機変態じゃなかった3機編隊という陣容だ。
すでにこの3名は、松山で過去開催された「零戦搭乗員会」「神雷部隊桜花隊戦友会」「343空S301飛行隊戦友会」「北浦海軍航空隊13期予備学生会」などに、たびたび潜入し多大なる戦果を上げた海軍じいさんのおっかけ的マニアなのだ。 2月10日、松山空港で合流した3名は、いきなり味口氏の先導で、近くの寺に眠る玉井浅一大佐の墓所を訪ね、お参りすることから行動を開始した。いきなりなんちゅうことを・・・。 玉井大佐は元263空・豹部隊司令や201空司令などを歴任された海軍戦闘機隊の名指揮官の一人であり、比島における初の特攻隊編成にも大きくかかわった方だ。
戦後は、この松山市の寺の住職となり、かつての部下たちの多くを特攻に出した後悔の念で彼らの御霊を弔ったといわれる。 我々三人はいきなり真摯な気持ちにならざるを得なかった。
つぎに、久々の再会ということで、コーヒーでもということになった。 とりあえず斎藤飛曹長の入手した情報を元に、松山市に隣接した松前町(まさきちょうと読む)にあるというYS-11改造のレストランへ、このたびの二日間にわたる索敵計画を討議すべく向かったのであった。


マニアなら必見! 本物のYS-11レストラン

そのレストラン「スカイドリーム」は、国道56号線沿いに異様な風体をさらしていた。
まぎれもなく本物のYS-11が道路沿いの一角に見えた時は、三名とも「ウゲー!!」と絶叫するしかなかった。 聞くところによると全国から噂を耳にしたマニアが、わざわざこれを見るためにやって来るそうだ。 オーナーは、地元で手広く外食産業を経営するおっさんらしいが、中途半端な航空機マニアが有り余るゼニを持っていて、「大空へのあこがれを味わっていただきたい・・・・うんぬん」と銘打って始めたものらしいが、どうせこだわるならもう少しきれいにレストアしていただきたかった。 フィリピンから輪切りにして運んだのが丸判りで、なんと接合部分はぐるりとガムテープのようなものでパッチが当てられており、その上から塗装ローラーでコロコロと塗ったと思われるフシがあった。 エンジンはもぬけの空で、車輪も撤去され、数本の鉄柱で支えられていた。


写真説明
レストラン「スカイドリーム」国道沿いにいきなりYS11が駐機しているのだからイヤでも目につく。マーキングはそれなりに描かれているが近くに寄ってみるとひどい状態だ。

しかしながら、ゆうても本物である。 このレストランに搭乗するためには、隣接した空港ロビー?を経て乗り込まねばならない。池田飛曹長は、まるで秘宝館かパラダイスのようだと感激していた。 YS-11の周囲で写真を撮ったあと、結構搭乗気分で興味深く中に入った。機内にはキャビンアテンダントのおねえちゃんが「いらしゃいませ」と声をかけてくれたが、どう見てもスッチーに見えない。 茶髪・ルーズソックスのいかにもアルバイト丸出しのコギャルだ。 しかもなかなか、テッテーしてるのは水もコーヒーも紙コップだったこと。 もう我々三名にはうけること、うけること。
「いやあ、さすがは航空史にさん然と輝く松山だけのことはありまんな」。斎藤飛曹長が味口氏に意味ありげに言う。 「そんな、からかわないでくださいよ」。味口氏はテレ笑いを浮かべながら、えらいもんが出来よったというような顔である。 「どうせなら、松山航空隊ゆかりの地なんだから、一式陸攻を改造して『レストラン・中攻』なんてえのがよかったなあ」。 斎藤飛曹長が言うと、池田氏いわく、「ちょっと狭いけど、銀河を改造して『御食事どころ・梓』なんてのはどう?」などと提案したりする。
その後、『うどんの菊水三号店』だの『焼肉の非理法権天』だの、かなり海軍機マニアな会話がはずむ。 あげくのはてにはテーブルの上に、池田氏が持ってきた本物の航空眼鏡(彗星の操縦員から進呈された)だの、斎藤氏の海軍機写真だの、航空記録だのを並べ出陣前の盛り上がりはピークに達していた。
しかし、向こうで例の茶髪のスッチーが冷ややかな目で、こちらを見ていたことを私は見逃してはいない。 恐らく彼女らは、『また今日も、どこから来たんか知らんけれど、飛行機おたくのオヤジどもが来やがった。 どうでもいいけど、堪忍してほしいわ』と言いたげである。 そんな冷ややかな目も一向に気にしない我々は、充分フライト気分を堪能させて頂き、感動にむせいでいたのだった。 ・・・・んなわけ、ないわい!
写真説明
絶句しつつYS11を眺める池田氏、機種のあたりだけでも3箇所の切断跡があり、ガムテープのようなもので包み隠していた。指で押すとペコペコへこむのでビックリ。夜間はクリスマスツリーのように豆電球でライトアップされるが、どう見ても趣味が悪い・・・・。

愛媛は海鷲の巣窟である。中でも宇和島はローソン状態。

私は四国四県の健在な搭乗員を随分調べたし、取材も重ねたが、なんといっても愛媛がダントツに搭乗員の数が多い。味口氏によると、全国組織『零戦搭乗員会』が出来たのは、それより前に発足していた『愛媛零戦搭乗員会』が音頭を取ったとのことで、ゼロ戦の搭乗員だけでも現在も約20名ほどの方が健在という驚くべき地域なのだ。 一県でこんな会があるのは、ここ愛媛と長野くらいなもんだ。
今回、二日間で四人の搭乗員宅におじゃましたが、中でも宇和島市及び近辺の北宇和郡をはじめとする町村には、ローソンかガソリンスタンドのように今だお元気な海軍じいさんが点々と暮らしておられるのだ。 従って今回、宇和島方面での方々の取材は車で5分とか10分で次のお宅へ到着出来、その密度の濃さに舌を巻いた。当然二日間で、判っている方たち全部は、訪問出来るはずもない。
今回お会いできた方の中でも、藤本速雄飛曹長(丙飛13期)がもっとも凄まじい戦歴を持たれていた。ゼロ戦各型はほとんど搭乗し、中でも『あ号作戦』(マリアナ沖海戦)の時は空母『瑞鶴』から発艦して、さんさんたる負け戦を経験され、奇跡的に単機生還している。氏は生粋の母艦搭乗員であり、いわゆる海軍戦闘機隊でもエリート搭乗員といえる人である。
米軍に押される一方の戦争後半に実施部隊に配属されたとはいえ、なんとグラマンF6Fを3機、TBFを1機確実撃墜というスコアを上げられている。(本当はもっと撃墜数が多いのだが、協同撃墜や未確認は、いっさいスコアに数えようとしない氏の心情には敬服させられる)
以前、池田飛曹長は愛媛県を訪れた際、当時入院中だった藤本氏を見舞い、「絶対によくなってくださいよ。藤本さんがお元気になられたら、私は必ずまた愛媛まで海軍時代のお話を伺いに来ますから」と、痩せこけた藤本氏の手を握りしめたという。 そばに立って見ていた味口氏は、その時の情景を感動的ですらあったと述懐している。
池田氏はその時、内心これが最後かもしれないと覚悟したと言うから、すっかりお元気になられた藤本氏に再会して驚いていたくらいである。 やはり、元海軍戦闘機隊員は強靭だなあと三人とも感心しきりだった。
その他にお会いした方々は次のような方だ。

●宮本 大上飛曹(甲飛11期) 水上機操縦  二式水戦・強風(第二河和空)
北浦空で飛練、小松島空で2座水偵の延長教育を終えた宮本上飛曹は19年5月、愛知県の第二河和空へと配属される。零観、二式水戦、強風と乗り継いだ氏は第二河和空の開隊から終戦まで在籍した貴重な経験を持つ。




● 保田 基一上飛曹(甲飛11期) 水上機陸上機 零観・零戦・桜花 (詫間空・721空桜花隊)
あちこちの戦友会へとお招きいただき、酒がはいると「貴様ら!」の連発でタダではすまないことで有名。 保田上飛曹は水上機から神雷部隊の搭乗員となった人で、幸運にも直前で出撃中止となり生き残った心から愛すべき海軍じいちゃんである。


●山本文夫上飛曹(乙飛16期) 水上機 二式水戦・強風  (博多空・佐世保空)
博多空で延長教育を終えた山本上飛曹は佐世保空指宿分遣隊で零観に搭乗。後に佐世保空本隊に戻って二式水戦、強風で本土防空戦を戦った。水上戦闘機の操縦者は2座水偵から回るケースが多く、中には陸上機に転課する事例もよく耳にする。



とまあ、最近水上機を追いかけている斎藤飛曹長には、こたえられない方々であった。 また、愛媛の海鷲さんたちにお会い出来ますことを祈ると共に、今回得た沢山の知られざる史実や記録・写真、そしてモデラーの視点から見た、知られざる塗装とマーキング等は、いずれ我々三名がいろいろな形で発表することと思う。 お楽しみに、お待ちいただきたい。

藤本速雄飛曹長写真説明(本文中挿入写真)
601空(1航艦・空母「瑞鶴」)の母艦搭乗員として大戦後半の激戦を生き抜いた人。マリアナ沖海戦、フィリピN航空戦、本土防空戦などを戦い、沖縄戦では特攻機の前哨戦闘を何度となくこなしている。F6Fを撃墜した談話は凄まじいものがあった。バックは築城空の零戦21型。


○ 余談1 池田兵曹長は、なおも一日余分に大洲市に残り、翌日は単機、梅林義輝上飛曹(甲飛10期・零戦 653空・601空S310)を取材した。 かなりの戦果があったそうで、近い将来スケビあたりに発表されるかもしれない。

○ 余談2 宇和島を訪れた前日、あのハワイ沖での宇和島水産高校実習船の惨劇があり、地元では大騒ぎの様子だった。 一日も早い乗組員全員のふるさと・宇和島への帰還を祈りたい。

○ 余談3 宇和島水産高校の話題で少し不謹慎かもしれないが、市内のあちらこちらで、日曜日にもかかわらず、事故のためか同校の学生を見かけた。 その紺の制服は、まるで江田島の海軍兵学校そっくりだった。 宇和島には今も旧海軍の息吹が感じられ、まさに海鷲の町という表現がぴったりな街なのだ。

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