若かった頃、やりきれない気持ちになると北へ向かった。それも冬。暖地育ちの僕にとって、寒々と雪に覆われ凍てつく大地は、自分の知らない世界。未知の場所に行く事で何もかも忘れられると思ったからだ。ポケットに切符と幾ばくかの現金を突っ込み、あとは小さなカメラバッグだけが荷物だった。中には使い古したニコンF2と24ミリ、105ミリのレンズを2本、フィルムと時刻表を放り込んでいた。旅は、いつも1週間程度。大体それぐらいで気持ちに整理がついたが、後悔だけは心の片隅で尾をひいた。 旅の途中の気分は重かった。一番最初に出かけた時は、まだ青函連絡船で北海道に渡っていた頃で、猛吹雪の中を鉛色の空の下、三角波の立つ海を進む船にとてつもなく寂しさを感じたものだ。函館から札幌へ向かう夜行普通列車の中で、窓の外に流れる明かりを見ながら、ずっと黙りこくって座っていた。何故?そればかりが頭の中を駆け巡っていた。 それから何度も北海道、東北方面へいく羽目になったが、気分はいつも同じだった。楽しかった思い出はない。カメラを握りしめ、淡々と写真を撮ることで気を紛らせていた・・・・。 あのころ、大好きな人と一緒にいく夢を見た。実現した事は一度もなかった。いつか、いつかと思いつつ齢を重ねてしまった。 |
青森駅にはいつも夜到着した。僕にとって昼の景色を知らない駅の一つだ。一人プラットホームに立っていると心細かった。 | |
津軽鉄道はストーブ列車の走る鉄道として有名。四国にはいなくなった旧型客車に会いたくて訪ねたが・・・・。 | |
どこの駅だったか、わずかな照明につられるようになんとなく降りてみた。プラットホームだけの小さな駅。どうして降りたのだろう。今は忘れてしまった。 | |
南部縦貫鉄道のレールバスは僕と同じ1962年生まれ。この鉄道も今は休止になって、車輛はお休み中だと最近聞いた。 |