出撃開始
静岡遠征部隊の集合は徳島県藍住町の富吉基地であった。
集合時刻は午後10時であったが、早くも午後9時過ぎには部隊員が集合し始め、9時半過ぎには今回合同作戦をとることになった土佐部隊(別名・鯨部隊)から会長が到着。ほとんどの参加メンバーが勢ぞろいし、本作戦の実施行動について大いに盛り上がっていた。
ところが、出撃開始時刻である午後11時になっても当会の会長・山上恭三、尾本準会員、村上会員が姿を見せなかった。
「1番機が来んことには出撃できんやないか!」
「また哲ちゃんが遅れたんか?」
集合を終えた部隊員から出撃開始遅れを懸念する声が上がったが3氏はいっこうに姿を見せない。
「すまん、すまん!」ノー天気な調子で山上会長以下1番機のメンバーがやってきたのは午後11時10分頃、いつもながらの*阿波時間である。慌ただしく荷物を積み込み、部隊員は1番機、2番機に別れ乗り込んだ。出撃を開始したのは午後11時20分過ぎであった。
ここで2機の操縦士ならびに乗員を紹介しておく。
1番機
操縦 水間一等飛行兵
乗員 山上元帥、尾本二等兵、村上少佐、前川国防婦人会員とその子息、森澤大将(土佐模型クラブ会長←今回の身分は奴隷)
2番機
操縦 三好三等飛行兵
乗員 斎藤分隊士。吉本軍曹、前川曹長
1、2番機とも7名乗りであったが、このような割り振りになったのは、2番機に喫煙者を集めたためである。おかげで1番機はクーラーが効かないほどのすし詰め状態であったが、2番機は操縦士と副操縦士以外は全員横になって長旅を楽しむ快適空間となったのであった。
操縦士は2名とも長距離飛行に関しては問題ないはずであったが、後にこの2名を指名したのは誤りであったことが判明する・・・・・・・。
*阿波時間→決められた時間に当たり前のように遅れることをいう。徳島の伝統。
一路静岡へ
出撃開始が遅れたのを取り戻すかのごとく、1、2番機とも巡航速度120キロで一路、静岡に向かった。予定経路は本州四国連絡道路(鳴門大橋、明石海峡大橋を使い2回海を渡る)阪神高速、名神高速、東名高速である。途中、休養補給は吹田、養老、上郷、浜名湖各SAで行うようになっていた。
途中、トラブルはなく快調に2機は編隊を組み、東へと進軍した。
「うわあ!本物の哲ちゃんだ!」
夜も明けぬ上郷SAで時ならぬ大声が響いた。声の主は京都の模型クラブ「シリウス」のメンバーである。
「いやあ、会えてうれしいなあ。記念写真を撮ってもいいですか?」
「おまえら人を見せ物のようにいいやがって・・・・・なんで初対面なのに人の顔知っとんじゃ!」尾本準会員は口では怒っているようなそぶりだが内心は「俺は有名人」と思っており満面の笑みを浮かべている。しかし何故面が割れているのかは理解できていない。
「哲ちゃん、うちのHPに大きく顔写真を載せたあるけんな。うちのHP見たらあんたの顔はすぐ憶えてもらえるわ」
「けっ!うちのしょうもないHPや誰が見るか!人の顔写真勝手に載せやがって!まあ数十人が見るぐらいのもんじゃ・・・・」
「哲ちゃんWWWの意味知っとんで?前うちが出しとった会報だったらせいぜい300人までじょ。しかしインターネットは不特定多数のしかも世界中の人が見るけんの。多分、おそろしい数の人に面が割れたんと違うか?」
「えっ!そうなの・・・・・。それじゃあまるで恥ずかしい写真を近所中にばらまかれた女の子みたいじゃない・・・・・」
哲ちゃんは絶句した。当会で未だにITに乗り遅れている彼はWebの恐さを全くしらないのであった。
しかし、HPで公開したこと以上に、哲ちゃんはどこにいっても人気者である。
あのキャラクターに匹敵するモデラーはそういない。
未だに当会での身分は準会員であるが、すでに当会の歩く広告塔としての地位を不動のものとしているのであった。
浜名湖SAでは静岡に向かう他クラブの面々と合流した。ほとんどの方が1年ぶりの再会。一番最初に参加した時は浜名湖を早朝通過するのは当クラブだけであった。あの頃にくらべると今では早朝の浜名湖はこの日はモデラー集団で埋まっているといっても過言ではない。
京都を通過したころから熟睡モードだった斎藤分隊士もここでお目覚めした。
浜名湖を出るとあとはもう静岡へ一直線。いつもどおり会場近くのデニーズで朝食をとる。
他会の面々も店に散見できたが、他会の方が午前7時過ぎにはそそくさと店を出ていくのに当会のメンバーはいたってゆっくりしている。
さすがに参加12回を数えると、急ぐ必要がないことを熟知している。早く行き過ぎると間が持たないのだ。気がはやっているのは哲ちゃんだけであった。
PARAT2へ続く
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